分かり合うのは、むずいし楽しい

インド人のドライバーと怒鳴りあいの口論をした日記を読み返して考えてました。
反省することもあって。
(猫しか話し相手がいなくて暇だから焼酎飲みはじめたら寝れなくなった、という事情もあります。だは。)

唐突にバングラデシュの思い出。
バンクラデシュ滞在の3年間はバクシーシとの戦いでした。
どこへいっても「バクシーシ(寄付ちょうだい)」と言われて、
それについて嫌な気分になった事も何度もあったし、あげるべきか・あげないべきか、でかなり悩んだ頃もありました。
でも、自分なりの結論として、「お金持ってそうな人からお金もらいたいな、って思うのは当たり前のことかもしれない。でも、あげるか・あげないかは、その時の私の気分!」ということになりました。
(こんなこともあったっけ。バングラ最後の思い出

でも、内心、バクシーシを求めてくる人には
「外国人でバングラ人よりも所得はあるかもしれないけど、例えば日本の医療費はバングラより高いわけで、家族の介護や自分の老後のためにお金が必要だから、お金が余っているわけではない。」
という事を分かってもらいたかった。
だけど、相手は日本の医療費や介護問題について何も知らなくて、これを説明して分かってもらえる事はないだろうな、と思って「こっちの事情を理解してもらう」ってことは諦めました。

そもそも、日本人同士でも、相手を100パーセント理解するってのは、無理だと思ってる。
生活環境も違うし、考え方も違うし。
でも、日本人同士だと、想像力で補って相手と理解しあえる。(ことが多い。)

ただ、その想像力が自発的なものでしかも限度がある、ってのが問題で、生活環境や文化が全く違う相手だと、その想像力を求めるのは、すごく難しいと思う。
でも、お互いが想像できる範囲内で相手を理解することは可能で、海外に住んでる日本人で現地の人との想像力のすり合わせが上手でとてもいい関係を持っている人もたくさん見てきた。想像力を押し付けるわけではなくて、お互いの重なる部分を大事にして分かり合っている感じ。

まあ、そんなこんなで、結局何が言いたいかと言うと、島国の日本に住んで日本文化を持ってる日本人も世界から見ればけっこう特殊な性格かもしれないし、インドも固有の文化と歴史があって独特な考え方をする人も多いから、お互いを理解するのが結構大変だな、ってことでした。それぞれの「常識」は違うし。(その理由で、インド人を小バカにしているような旅行記とかが苦手です。単に文化の違いなのに、って思う。)

でも、「シャルク・カーン、めちゃ格好いいよね♡」とインド人女性と一緒にキャッキャしてるときとか、思いがけず「三池崇史すげー好き。」というインド人に出会ったときとかは、ものっすごい嬉しい。分かり合うまでの距離がある分、分かり合えると、心底嬉しいな、って思います。(音楽もそれが一番の楽しさなのかもしれない。)
んでもって、分かり合えない時もやっぱしあって、相手によってはそれは仕方ない、とも思う。日本人でも、インド人でも、何人でも。
だけど上手く立ち回ることもできるのに、それが出来なくて、口論しちゃった自分への自己嫌悪と思い通りにできないことの悔しさでハンカチ噛んでキーっとなっていたのがドライバーとの一件でした。ちゃんちゃん。

インドで焼酎は手に入らないから大事にとってあったけど、黒霧の湯割り、止まらないなあ。
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